全国より頂いたお便りを掲載いたしております。

 

  • 第4回おばら杉田久女俳句大会

     杉田久女の夫、宇内さんの生家がある愛知県豊田市小原地区(旧小原村)では、郷土ゆかりの俳人杉田久女を顕彰したいと、小原ガイドボランティアの皆様が、平成24年から「おばら杉田久女俳句大会」を毎年開催しています。
    このほど、第1回から3回までの投句集と丁重なるお手紙を当会会長にいただきました。
    第3回投句集(平成26年)の序文には、
    『杉田家は庄屋を務めたこの地域の名家。広大な山林や田畑、柿や梅畑、母屋のほか長屋門や蚕室、作業小屋、茶室に蔵は二つ・・・。その十五代当主が杉田宇内であります。村長であった父和夫の葬儀で宇内と帰省した杉田久女は、滞在中小原での俳句を残していました。久女の長女石昌子が発見して記録したものを、今回、孫の石太郎先生が講演「杉田久女とおばら」で公表されました。久女や杉田家を知る貴重な資料であります。
    西倉の膳椀しらべ柿そだつ
    養魚池にひねもすそそぐ筧あり
    うら門のさんしょ大きく実をあまた 
    秋涼し朝々かゆる壷の花
    全部で二十八句、その中の四句をここに記しました。』とあります。

    北九州市立文学館発行の図録「花衣 杉田久女」の杉田久女年譜には、「昭和17年8月 義父杉田和夫逝去、夫の実家に滞在。」と記されています。

    9月19日(日)開催の今年の第4回おばら杉田久女俳句大会の盛会をお祈りします。

案内ちらし(PDF)はこちら

 

  • 劇団青春座が演劇で杉田久女を上演   久末隆彦

     市民劇団の劇団青春座が、創立70周年の記念に、来たる5月23日(土)18:30~、5月24日(日)13:30~に、「久女の恋」を上演します。リバーウォーク北九州にある北九州芸術劇場中劇場で上演され、全自由席 前売り一般3,000円(当日券は3,500円)となっています。

    チラシには、『「ノラ」ともならず一途に、俳句に恋した杉田久女』、『高浜虚子をただ一人の師と仰ぎ、「清艶高華」と評された杉田久女の実像に迫る!!』のキャッチコピーが。さて、どのような公演になるのか、今から楽しみです。チケットは、リバーウォーク北九州5階のプレイガイドや小倉井筒屋プレイガイド(新館8階)でお求めになれます。

  • 三宜楼(さんきろう)と俳句の間   久末隆彦

    今年1月の久女忌でご来賓挨拶をいただいた北橋北九州市長様から、「門司に三宜楼(さんきろう)という古い料亭があり、保存活用が検討されている。その部屋の1つに俳人の高濱虚子が滞在したそうで、残すことができればと考えている。」といった旨のお話がありました。
    その三宜楼が、4月26日(土)にオープンしました。昭和6年に建てられた三宜楼は、木造3階建てで、1階が料亭と展示室、2階が大広間(百畳間)、3階に「俳句の間」があります。

    「俳句の間」は、高濱虚子が1936(昭和11)年に欧州へ出発する前に当時の門司市長が虚子を招いて宴を開いた部屋を再現したものです。
    風師山梅ありという登らばや 虚子
    谺して山ほととぎすほしいまゝ 久女
    の二幅の掛軸が並んで掛けられています。

    三宜楼を紹介するホームページは、こちらをご覧ください。
    http://www.mojiko.info/3kanko/sankiro/

     

    2階 大広間(百畳間)

     

  • 生誕110年 林芙美子展   久末隆彦
    北九州市立文学館で「生誕110年 林芙美子展」が4月20日(土)から開催されています。

    「花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき」の詩があまりにも有名です。
    1903(明治36)年下関生まれとされていましたが、その後の調査により門司・小森江で生まれたという説が通説となっているそうです。
    1910(明治43)年1月に父親が芸者を同居させたため、母親は芙美子を連れて当時住んでいた若松の家を出、長崎に移りました。

    ちなみに杉田久女が小倉中学校(現小倉高校)図画教諭を務める杉田宇内と結婚し、小倉に移り住んだのが1909(明治42)年8月とされており、このあたりの人物往来は実に興味深いところです。

    林芙美子展は6月9日(日)まで。この間多彩なイベントが予定されています。詳しくは文学館のホームページをご覧ください。

    http://www.kitakyushucity-bungakukan.jp/sub-tokubetu/tokubetu-index.html

    芙美子展を見て、いちばん驚いたのはその文筆活動のほか、絵を描いていたことです。『絵を描くことは私の仕事の二番目で、(略)マチスやモジニアリが好き・・』というだけあって、展示されていた絵もすばらしいです。

    文学館では、4月から「文学館友の会」を発足させました。年間パスポートのほか、特別企画展開会式の招待や特別企画展図録の進呈など会員特典も充実しています。郷土が生んだ作家林芙美子展を機に文学館に足を運ばれてはいかがでしょうか。

    花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かれど
    風も吹くなり 雲も光るなり

 

  • 花衣の句碑と楊貴妃桜   久末隆彦
    友人から、「今日、昼休みに堺町公園に行きました。楊貴妃桜が満開でした。本当に豪華な咲き振りでした。句は、できませんでした。楊貴妃桜を詠むのは、まだ早そうです。挑戦はしたいのですが。」とのメールをいただきました。

    さっそくカメラを持って翌日(4月4日)の昼休みに出かけました。花曇りというのでしょうか、青空の下ではありませんでしたが、なるほど八重の花びらの豪華な咲き振りでした。左隣にソメイヨシノの木が並んでいるのですが、こちらはすっかり落花していました。同じ桜なのに、満開の時期が違うんですね。

    堺町公園 花衣ぬぐやまつはる紐いろいろの句碑と楊貴妃桜

    楊貴妃桜

 

  • 一瞬をとらえた先人の名句 久末隆彦
    俳句雑誌(註1)をめくっていたら、「一瞬をとらえた先人の名句」として、杉田久女の笹づとをとくや生き鮎ま一文字 の句が、俳人であり久女研究の第一人者である坂本宮尾さんに紹介されていたので、引用します。

    『笹づと(註2)を解いたとたんに目に飛び込んできた、一瞬の清冽な印象を詠んだ句。青々とした笹の葉に包まれた生き鮎のぴんと真っ直ぐな、輝くような姿が彷彿とする。大正9年9月「ホトトギス」雑詠入選句。

    この句のもつ弾んだリズムは、代表句のひとつ<花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ>と同様のもので、久女俳句の特徴である。渓流の女王とも称される鮎の躍動感がみごとに表現されている。

    生き鮎の鰭(ひれ)をこがせし強火かな
    踊り串を打ち、化粧塩をつけ、鮎を焼く。作者は、強火で鰭が焦げたという一点に着目し、臨場感あふれる句に仕上げた。句から、火のはぜる音、食欲をそそる匂いまで伝わってきそうだ。

    俳人久女の出発点は台所俳句であり、料理が得意であった久女は、<露草や飯(いい)噴くまでの門歩き><盆に盛る春菜淡し鶴料理る>など、たくさんの厨ごとの句を詠んだ。成功した作品は、対象とする事物を観察し、もっともその本質が現れた瞬間をすばやく切り取り、具体的なものに焦点を絞って、適切なことばで言い留めている。一瞬の印象を直感的に作品化する作業に必要となるのは、集中力だと思う。久女のこれらの句は、生活臭にまみれた凡庸な台所詠とは一線を画した、みずみずしい情感をたたえた作品となっている。(以下省略)』

    註1 角川「俳句」2013年2月号
    註2 笹の葉を束ねて、その中に魚を包んだもの(投稿者註)

 

  • 第1回 おばら杉田久女俳句大会  久末隆彦
    何気なく俳句関連の雑誌をめくっていたら、『第1回おばら杉田久女俳句大会』の入賞作品発表という記事が掲載されていました。(開催は平成24年9月22日(土))

    『大正から昭和初期にかけ、個性的な女流俳人の先駆けとなった杉田久女。その偉業を偲び顕彰する俳句大会が久女の眠る山深い小原で開催されました。』
    主催は、小原ガイドボランティア、後援に豊田市教育委員会、小原観光協会、小原地区コミュニティ協議会、小原地区文化協会、中日新聞社の名が連ねています。
    杉田久女の夫である杉田宇内さんのご実家が、愛知県の小原村(四季桜や、和紙のふるさと)であることから、この俳句大会が開催されたものと思います。「第1回」というのも、それを企画なさった方々の熱意やご苦労がしのばれて、共感を覚えます。小原ガイドボランティアの皆さんに、一度お会いしてみたい気持ちです。
    北九州・小倉の久女・多佳子の会と、豊田・小原の小原ガイドボランティア、今後交流ができれば、おもしろいと思います。

    ちなみに、受賞句は
    第1回杉田久女賞 里人の手向く白菊久女の碑
    大会賞      久女笑む小原の里の帰り花
    豊田市長賞    秋の風孤高の久女偲びけり
    小原賞      秋草を咲かせ久女の魂あそぶ
    中日新聞社賞   山澄むや紙すく音は風の上

    なお、選者は一度小倉で杉田久女俳句についてご講演をいただいた名古屋の伊藤敬子先生(「笹」主宰、愛知県芸術文化協会理事)です。

    参考 小原観光協会のホームページ
    http://www.kankou-obara.toyota.aichi.jp/

 

  • 小倉ゆかりの先人たちコーナー「杉田久女」を観て  津田恵子
    新年明けまして、おめでとうございます。
    今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

    小倉北区役所の久女さんの展示を観ました。
    暮れに区役所に用事があって、来庁した時に、偶然、気が付き、拝見しました。
    市民が訪れる区役所に「文化の香り」が漂うようでした。展示は、どなたがされたのでしょうか?
    プロ?文学館の職員の方々がつくられたのでしょうか?とても、素敵でした。

    多くの市民に北九州には、素晴らしい文化がある!文学者がいる!杉田久女さんがいた!ということを知っていただける貴重なスポットになると思います。
    シリーズで替わっていくのなら、市内の区役所や市民センターを巡回展示されては、いかがでしょうか?
    再利用しないと「もったいない」完成度のある展示だと思います。

 

  • 小倉北区役所ロビーに「小倉ゆかりの先人たち」コーナー開設 久末隆彦
    小倉北区役所の1階ロビーに「小倉ゆかりの先人たち」コーナーが開設され、その初回展示に、杉田久女ゆかりの品々が展示されています。
    詳細は、小倉北区役所のホームページをご覧ください。

    http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokurakita/w2100090.html

 

  • 楊貴妃桜    久末隆彦
    「久女・多佳子の会」の柿本会長から、次のようなメールをいただきました。
    平成24年10月27日(土)に開催された「櫓山荘子ども俳句大会表彰式」を終え、本田(前実行委員会)会長をクルマで送って帰る道すがら、本田会長から『高見倶楽部の前の公園に立派な説明板ができている。』との話があり、見に行きました。楊貴妃桜が植樹されたことは知っていましたが、これまでなかった説明板が、いつの間にか設置されていました。内容も十分で文学碑並みです。」というものです。
    さっそくその説明板を見に行きました。久女さんが生きた時代は、官営八幡製鐵所八幡公餘倶楽部(現「高見倶楽部」)で、いわば高級幹部の社交場といったところでしょうか。
    高見倶楽部には、久女さん一行が何月何日に句会に訪れたのか記録が残っているそうで、俳誌「花衣」にもそのときの楽しそうな様子がお弟子さんの山野愛子氏によって記されています。(このホームページの「久女散歩」の八幡公餘倶楽部の項をご覧ください。)
    説明板は、高見中央公園の子ども遊具の近くに設置され、楊貴妃桜の木が3本植樹されています。説明板の位置から、楊貴妃桜の木の先に、高見倶楽部の屋根を見ることができ、往時をしのばせます。
    説明板には、
    『風に落つ楊貴妃桜房のまゝ
    昭和七年(一九三七)五月七日に俳人の杉田久女が俳句の会員たちと、
    この近くの八幡製鐵(現新日本製鐵株式会社)の迎賓館「八幡公餘倶楽部」(現在の高見倶楽部)で
    句会をしたときに詠んだ句です。
    唐の玄宗皇帝の愛妃である楊貴妃の名に因んだ桜は、八重咲きの豪華な花です。
    残念ながら、久女が詠んだ楊貴妃桜は、今は高見倶楽部内に残っていません。
    そこで、花の名所づくりの一環として、この地に植樹したものです。
    なお、久女が八幡を詠んだ句に、
    雪颪す帆柱山冥し官舎訪ふ もあり、この辺りは八幡製鐵の官舎が建ち並んでいたことが偲ばれます。
    久女にちなんだ楊貴妃桜は、他にも堺町公園(小倉北区堺町)、櫓山荘公園(小倉北区中井浜)にも植えられ、
    毎年、春には八重咲きの豪華な花を咲かせています。』
    とあります。

    説明板を設置していただいた北九州市の公園整備担当の皆様に深く感謝申し上げます。

高見中央公園楊貴妃桜

高見中央公園説明板

 

  • 櫓山荘子ども俳句大会表彰式を終えて    久末隆彦
    10月27日(土)表彰式の2~3日前から天気予報に気を揉み続け、前日の予報で降水確率が30%とのことだったので、午前中は天気がもつと判断し、櫓山荘公園での開催を決めました。
    当日の朝、青空も一部見られ、予報どおりもちそうだなと自宅を出、1時間前に会場に着いて、表彰状や記念品の盾を並べていると、雨粒が落ち始めました。ぱらぱらといった雨が、開会30分前には本降りとなり、会場設営の方がテントを動かしたりと、裏方は大忙しとなりました。
    表彰される児童生徒の皆さん、その保護者や学校の先生方も次々とお見えになりましたが、決められた席順に座っていただき、雨に対する苦情や不満の声はどなたからも出ず、救われた思いでした。
    出席者の皆さんがお揃いになり、定刻に表彰式が始まりましたが、幸いなことに、その頃雨はほとんど上がり、係の者も傘をさすこともなく動くことができました。
    表彰状授与が終わり、表彰された児童生徒の皆さんと主催者、来賓とが「櫓山荘跡」の碑の前に整列して記念写真を撮ることもでき、表彰式を無事に終えることができました。
    久女・多佳子の会の柿本会長から次のようなコメントをいただきました。
    「本日はご苦労さんでした。小雨ぱらつく中でしたが良かったと思います。写真撮影の時は保護者がたくさん出てカメラを構え、わが子の姿をとっているのが印象的でした。やはり櫓山荘公園で実施したのは正解でした。」
    屋外での表彰式はお天気の心配がありますが、久女さんと多佳子さんが出会った櫓山荘跡を見てもらい、雨や樹々の香りの中で表彰式が開催されたことが、子どもたちにとって良い思い出となれば幸いです。

 

  • 久女のぼせ    中嶋重利
    私の出生地は、福岡県の東部にある築上町。大学の4年間を除きこの町に暮らしている。この町の多くの小学校、中学校の校歌には、英彦山が詠われている。私の卒業した小学校、中学校、高等学校にも、英彦山が歌詞にあった。就職は北九州市役所に。通勤は、JRを利用している。通勤の行き帰り、車窓から英彦山を眺めている。亡くなった父といっしょに登った思い出の山でもある。山容が雄大で、好きな山の一つである。
    その英彦山を更に好きになる出来事が10数年前にあった。小倉の本屋でたまたま、桜、朝顔、萩、すすきなどを散らした装丁の美しい本を手にし、ぱらっと開いたページにあったのが、「谺して山ほととぎすほしいまゝ」であった。
    その当時、杉田久女の名前すら知らなかった。ただ、この句は、どうしたものか記憶にはあった。男性の句とも思っていた。読み進むと、句が詠まれた舞台が英彦山、そして句を詠んだのが杉田久女という女性ということで、2度も驚いてしまった。
    早速、本を買った。この本が、「花衣ぬぐやまつわる…… わが愛の杉田久女」(田辺聖子著)であった。5日ぐらいかけて、読み終えた。そして、文化都市ではないと思い込んでいた北九州・小倉にこんなにすごい俳人がいたのかたと、大きなため息をついた。
    それ以来、英彦山を眺めると久女のことを考えるようになり、今も続いている。四季折々の花を目にすると、久女の句を思い出す。久女関係の行事があると、家事より優先させて参加するようになった。母が「おまえは、久女にのぼせってしまった」と言った。私の住む町では、あることに熱中して、他のことが手につかなくなることを「のぼせ」という。
    このホームページアクセスする方々もおそらく「久女のぼせ」と思う。このホームページが「久女のぼせ」の方々の交流の場となることを期待したい。

 

  • 俳句文学館    津田恵子
    「杉田久女のホームページ」開設、おめでとうございます。
    東京で偶然出会った杉田久女さんの句「谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ」に出会った時のエピソードをご紹介したいと思います。

    皆さん、東京にある”俳人協会・俳句文学館”をご存知でしょうか?
    3年ほど前、中野区の図書館に友人を訪ねた後、周辺の地図をブラウジングしていて、「俳句文学館」を発見しました。
    ちょうど、「久女・多佳子の会」に入会させていただいて、間もない頃でしたので、持ち前の「好奇心」が、むくむく・・・。
    早速、訪問、見学してみることにしました。
    新宿の隣駅、JR中央・総武線大久保駅で下車、線路沿いの側道や住宅街を歩いて、5分ほどの百人町というところに、それはありました。
    俳句文学館は、俳人協会の運営する日本で唯一の俳句文芸専門の図書館です。
    http://www.haijinkyokai.jp/
    地上4階建て、地下3階のコンパクトな鉄筋コンクリートの施設です。(建物延べ床面積1,227㎡)
    収蔵図書は、句集52,199冊、俳句雑誌312,425冊に及び、俳人協会の会員以外の人も自由に閲覧できます。(入館料100円が必要)
    訪問した時も、コンパクトな閲覧室に同人関係や研究者と思われる方たちが、書庫の資料を熱心に館内閲覧されていました。(資料は、すべて、閉架、同人誌のみ閲覧室の開架。)
    専任の司書の方もいらっしゃって、お願いをして、書庫の資料や展示室を案内していただきました。
    3階の展示室の展示ケースの中に、久女さんの「谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ」の短冊はありました。
    本当に嬉しい出会いでした。
    久女さんの句が、日本で唯一の専門図書館の展示室に常設展示として、紹介されている!
    感動したことを、今でも覚えています。

    もし、会員の方、あるいは久女さんのファンの方、東京に行かれることがありましたら、是非、お立ち寄られることをお勧めします。
    また、司書の方が常勤でいらっしゃるので、俳句資料のレファレンスにも応じてくださるということです。(電話や郵送での受付)
    ご利用されることをお勧めします。

 

  • 杉田宇内先生と久女さん    世良俊明
    皆様こんにちは。平成24年1月21日の久女忌に参加しました。久しぶりに穏やかな天候に恵まれ、参加者の方々は、関係者のご挨拶に拍手を送りつつ、暖かな境内の雰囲気を楽しんでおられたようでした。
    昨年の久女展開催など「久女再評価」の動きが強まる中で、参加した私も、今年ほど温かな雰囲気の中で行われた「久女忌」はなかったのではないかと感じました。ぜひこれからも杉田久女顕彰が進んでいくことを願わずにいられません。
    境内での読経・献花の後は、久女忌で恒例となった講話会が圓通寺本堂で行われ、久女の夫・杉田宇内先生の小倉中学時代の教え子である俵一彦氏の講演がありました。
    氏は「たまには宇内先生のことも話してほしいと依頼された。田辺聖子さんの『花衣ぬぐやまつわる…』はすばらしい作品だが、宇内先生への評価には異議がある。宇内先生は実直ですばらしい先生だった。同窓会ではひっぱりだこでとても人気があった人だ。久女さんは、俳句のために家を空け夢中になる。神崎縷々のところへも出かけて噂になる。よくも宇内先生が我慢したものだと思う。久女さんに惚れていたのだと思う。久女を貶める資料を提供したのは横山白虹だと思う。私の独断と偏見だが、彼は久女の才能にジェラシーを感じたし、惚れてもいたのだと思う。高浜虚子もそうだと思っている。」などとお話になりました。
    大変興味深いお話しでしたが、白虹さんが「久女に惚れていた」というのは違うのではないかと私は思います。
    才能に満ちあふれ、華々しい活躍をはじめた久女の強烈な自意識と時に奇異にみえる行動。こうした女性を実は彼は嫌いだったのではないか。どちらかというとお金持ちの令夫人でおっとりとした多佳子さんのような女性を好ましく思ったのではないか。そして男性中心の当時の小倉の社会では、白虹さんが久女さんを「とんでもない女性だ」と思ったとしても、彼だけの責任でもありません。
    しかし宇内先生は、こうした社会からの厳しい批判を受けとめながらも耐え続けた。それは、宇内先生は久女を愛していたのもそうでしょうが、彼こそ、俳句の才能に突き動かされるように突っ走っていく久女の本質を真に理解していたからなのではないか、と私は思うのです。
    虚子もまた久女の才能を見抜きつつ、困惑していた。経営者たる彼が、娘の女性俳誌経営に支障となりかねない芽をつみ取るため久女を葬り去る挙に出たのではないかとは、すでに多くの方々が指摘されているところですね。彼はそういう人だったのでしょう。
    宇内先生を知る教え子の皆さんは、すでに多くありません。また、色々な証言も立場が違えば何らかのバイアスがかかるのは避けられないことかもしれません。しかし、これからも久女さんや宇内先生をめぐる証言が残されていって、久女研究が進んで行ってほしいものだと感じました。俵一彦さん、有り難うございました。

又、随時お便りも募集しております。下記入力フォームよりお便りをお寄せください。

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