• 「久女を想ふ」
     今年は、杉田久女没後66年にあたる。久女の俳句生活は大正から昭和初期にかけての短い期間であったが、その天才的才能は俳句表現という形式を得て開花し、数々の栄光に輝くことになる。
     そしてその栄光の輝きが未だ失われない昭和11年、突然に理由も不明のままにホトトギス同人から除籍された。同人除籍以降久女は悶々たる失意の中で、敗戦の大混乱期の昭和21年1月病のため没した。
     久女没後、その栄光と挫折の生涯を極端に誇張した小説や演劇が世に出され、いわゆる「久女伝説」が蔓延し、久女の存在と業績は俳句の歴史から抹殺されようとした。
     地元では、更に数々の尾ひれがつき、文化人特に俳人の間では「杉田久女」という言葉は長い間禁句状態が続いた。
     しかしながら「芸術家は唯一その作品によって真価が問われるべきである」という真理は生きていた。
     久女の息女石昌子さんを始め多くの先人たちの検証と研究によってその実像が明らかになる一方、壮大で高雅な久女作品は多くの人々を魅了し再評価されることになった。
     大正から昭和初期を代表する女性俳人として、また現在の女性俳句の隆盛時代を導いた先達者としての久女の地位は揺るぎないものになりつつある。
     久女は「唯百年の友を死後に求めるだけです」と書き遺した。
     私共の会のささやかな顕彰活動もまもなく20年を迎えようとしている。
     百年の友が全国に燎原の火のように拡がることを切に願っている。
柿本和夫 (久女・多佳子の会 会長)

平成24年秋