平成30年1月21日(日)午前10時に、北九州市小倉北区妙見町の圓通寺本堂で、久女忌が執り行われました。

 最初に、久女・多佳子の会の久末隆彦会長が、「久女が大正5(1916)年に俳句を始めて、百年が経った。久女は師の高濱虚子に宛て、『百年の友を死後に求めるだけです。』と書き送った。まさに、ここにお集まりの皆様がその友だと思う。」と挨拶しました。


主催者挨拶をする久末会長

 

 続いて、ご来賓としてご出席いただいた北橋健治市長から、「今日は、愛知県豊田市小原町から、遠路ご参加いただき、お礼申し上げる。市は、1月16日(火)に、『杉田久女・橋本多佳子記念室』を小倉城庭園の一角にオープンした。今後とも杉田久女、橋本多佳子の業績を称える取組みを続けていきたい。」と、ご挨拶をいただきました。


来賓挨拶をする北橋市長

 

続いて、ご来賓の愛知県豊田市議会 牛田朝見議員から、「子どもの頃、石太郎さんと一緒に、小学校に通っていた。杉田家の前を通らないと学校に行けなかったが、久女の夫の宇内さんは、私たちの学校の行き帰りを必ず見守ってくれていた。教育者であったのであろう。久女さん、宇内さんをご縁に、これから豊田市と北九州市の交流が盛んになるよう願っている。」と、ご挨拶をいただきました。

来賓挨拶をする牛田豊田市議会議員

 その後、圓通寺の林久照ご住職がお経を上げてくださるなか、参加いただいた約60名の方々が、一人ずつ久女の好んだ白菊を手向け、偲びました。

 

 

 続いて、当会の吉富和男会員が、

 鯛を料るに俎せまき師走かな(大正6(1917)年1月ホトトギス台所雑詠初入選)

 艫の霜に枯枝舞ひ下りし烏かな(大正7(1918)年4月ホトトギス雑詠初入選)

 釣舟の漕ぎ現はれし花の上(桜の句 延命寺(小倉郊外))

 を、朗々と読み上げ、献句しました。

久女の句を献句

 

 最後に、久女のお孫さんの石太郎様から、ご遺族を代表して、「デジタル文化が急速に進む時代、俳句を詠むことで生み出される感性を、次世代にも伝えていきたい。」とご挨拶をいただきました。

 

遺族を代表してご挨拶する石太郎氏

 

 久女忌に続いて開催された講話会では、小倉北区役所が平成9年3月に開催した久女追悼講演会「清艶高華の俳人 久女を語る」と題した圓通寺林文照前ご住職(故人)の講演ビデオを視聴しました。

 続いて、市文化企画課の金田典子さん、市立文学館の中西由紀子学芸員に、オープンしたばかりの『杉田久女・橋本多佳子記念室』の展示品について、解説をしていただきました。